大判例

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東京高等裁判所 昭和57年(う)465号 判決

一 所論は、要するに、原判決は、三一作品中一九作品についてわいせつ性を肯定し、他の一二作品についてわいせつ性を否定したが、映倫審査の一つの基準である性器及び性行為の直接描写の有無をわいせつ性判断の基準とすべきであり、この基準に照らして判断すると、一九作品についてもわいせつとはいえないから、わいせつ性を肯定した原判決には刑法一七五条の解釈及びその適用を誤つた違法がある、というのである。

しかしながら、刑法一七五条にいう「わいせつ」とは、いたずらに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反することをいうのであるが、性器あるいは性行為を直接描写するものだけがわいせつなのではなく、たとえ性器や性行為自体を直接描写するものでなくても、社会通念上いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものである限りはやはりわいせつなのであり、所論はひつきよう独自の見解に基づく主張であつて、到底採るに由ない。そして、一九作品についてみると、これらは専ら観る者の好色的興味に訴えることを目的として一般個人用に供するため製作されたものであることのほか、その内容をみると、裸体の男女の性交、性戯、女性同志のレスビアンなど、男女あるいは女性同志のからみ合いのシーンがフイルムの大半を占めていて、物語の筋がほとんどなく、物語が展開するというよりは各性愛場面をつなぎ合わせる程度の意味合いしかないこと、しかも、各性愛場面の描写は大胆、露骨、執拗であるとともに、男女特に女性の喘ぎ悶える音声も克明に録音されているのであつて、このような男女あるいは女性同志の姿態、動き、表情、音声、色彩などにより、観る者をして知的な連想作用を待たず、その視覚、聴覚を通じて直接的に訴える効果は甚だ強く、現実的かつ迫真的であつて、いやらしく羞恥嫌悪の情を催させるものであること、その他原判決が詳細に説示するところは当裁判所においてもよくこれを首肯しうるのであつて、以上の諸点に徴すると、本件一九作品は、社会通念上許容される限度を超えているものというべきであつて、他の一二作品と比較検討を云々するまでもなく、それ自体でやはりわいせつであると考えられる。

二 所論は、性交場面における体位のずれとか、口による性器愛撫の場面における顔の位置のずれを指摘し、この程度の性表現は映倫における審査基準に合致しているのであつて、わいせつではないと主張する。なるほど、体位のずれ等に焦点を当てて、慎重に観察すれば、性交体位にずれがあつたり、性器愛撫についても位置がずれていたりするところもあるけれども、しかし、観る者が通常の映写速度のもとに通常の注意力と態度でもつて観覧する限りは、別段体位等のずれを意識することもなく、不自然ではないのであつて、叙上に説示したような男女の姿態、動き、表情、音声などによつて実際の性交等と同じような刺激的効果をあげているのであり、かつ、本件フイルムは、映倫審査の対象となる劇場用フイルムとは異なり、物語が展開していくということがほとんどなく、単に各性愛場面をつなぎ合わせた程度のものにすぎないもので、物語が展開することによつて各性愛場面から受ける印象が短かくなるとか、性的刺激が弱められるというようなこともないうえ、劇場用フイルムの持つ娯楽性にも乏しいのであるから、劇場用フイルムの場合とは同一には論じられず、本件フイルムが映倫の審査基準に合致しているとはにわかに考え難いのであつて、所論にいう体位等のずれが本件フイルムのわいせつ性を肯定することの妨げとなるものとは考えられない。

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